屋久島沖でアメリカ軍の輸送機オスプレイが墜落し、乗員8人全員が死亡した事故から2年が経ちました。当時、捜索活動にあたった漁師らが「忘れられない記憶」を語りました。
屋久島の海岸。アメリカ軍や住民らの寄付で建てられた慰霊碑があります。2年前の11月29日…

「オスプレイの機体の一部でしょうか。プロペラも見えます」
屋久島の東およそ1キロの海上で、沖縄の基地へ向かっていたアメリカ軍のオスプレイが墜落し、乗員8人が死亡。オスプレイ史上最悪の事故となりました。

アメリカ軍は、機体の変速装置=ギアの破損と操縦士の判断ミスが事故原因と結論づけています。

事故から2年経った先月29日。乗員8人の肖像と名前が刻まれた慰霊碑には、飲み物が供えられていました。
(地元の住民)「急に遠いところからきて、親族亡くされた家族のことを思うと、胸が痛いです」

今年は慰霊式が開かれなかったものの、アメリカ軍関係者も墜落時刻にあわせて祈りを捧げていました。
一方で、屋久島の住民からはこんな声も…
Qオスプレイの墜落がちょうど2年前だが?
(住民)「あまり覚えてない」
(住民)「もう忘れている。すぐ思い出さなかった、(オスプレイが)落ちたということを」
事故から2年。記憶が薄れていく住民も多くいました。














