屋久島で農業を営む平田耕作さん。数少ない事故の目撃者の1人です。平田さんとともに向かったのが、当時、オスプレイの墜落を目撃した岬。魚釣りをしていた時のことでした。

(平田耕作さん)「普通の体勢で降りてきたんだけども、機体が急に半回転して、プロペラのところから火がでて、200mくらい吹き飛んだ」
墜落の一部始終を目撃していました。2年経った今も当時のことを鮮明に記憶しています。
(平田耕作さん)「平和と自然しかない島だよ。屋久島にはオスプレイはいらない。平和がなにより」
屋久島の漁師・川東竜馬さんも、墜落を目撃した1人です。

(記者)「オスプレイが墜落した現場にこれから向かうということです」
安房港を船を走らせること、およそ20分…

Qここはどういった場所?
(川東竜馬さん)「当時(オスプレイが)落ちた場所。僕たちが到着したときは(オスプレイは)バラバラだった。私物とか、靴とかいろいろなモノが(散乱していた)」

事故当時、川東さんはアメリカ軍関係者らを漁船に乗せ、行方不明となった乗員を一緒に捜索しました。捜索は1か月余り続きましたが、8人のうち1人は発見できず、打ち切られました。

屋久島の事故を受けて、全世界のオスプレイは飛行を一時停止しました。アメリカ軍と防衛省は「オスプレイの設計と構造に問題はない」として飛行を再開しましたが、緊急着陸などのトラブルが相次ぎました。
しかし、鹿児島を含む南西諸島では今、自衛隊やアメリカ軍がオスプレイを使った訓練を繰り返しています。

(川東竜馬さん)「2年たって思い出しますよね。落ちた時の悲惨さ、バラバラになったオスプレイ見て。最後の1人が見つかればよかったですね」
墜落事故から2年。不安は今もぬぐえないままです。














