■どうしたら寂しさを埋められるのか… 母親の葛藤
(母・理江さん)
「この病気は、3歳くらいまでに風邪が悪化して亡くなるケースもあるような病気です、と説明を受けていたから、お姉ちゃんの風邪ひとつ熱ひとつでも、すごくびくびくしてしまって」父親は仕事の都合で家を空けることが多く、妹の結衣花さんには母親の医療的ケアが欠かせないため、体調を崩した穂乃果さんを市外に住む祖父母の家に預けることも多々ありました。
穂乃果さんは母親と離れるのが嫌で、熱があっても我慢することさえあったといいます。
(母・理江さん)
「しんどいと思っても、私には言わずに隠して我慢してる。熱測ってみようかと言ったら、いやだ~いやだ~って」
祖父母宅で過ごす穂乃果さんに、母・理江さんが欠かさず送っていたのが、手書きのイラストを添えたメッセージ。どうすれば寂しさを埋められるのか、悩みながら娘と向き合ってきました。(穂乃果さん)
「FAXが届いたとき、ワクワクしていたのは覚えてます」
(母・理江さん)
「今もそうなんですけど、小さい時からものすごくしっかりしてました。子どもっぽくないというか芯がしっかりしてるというか。今思えば、お人形遊びとか相手してほしい遊びも、私は結衣花の方にかかりっきりになって、かまってあげられなかったから。ちょっと待ってねと言うことが本当に多かったです」
甘えたい時に、甘えさせてあげられなかったと振り返る理江さん。ある日、穂乃果さんから言われた言葉が、今も忘れられないといいます。
(母・中山理江さん)
「『もう私なんか、生まれてこんかったらよかったんだろ』って半泣きで私に言ってきたことがあって。まさかそんなこと言ってくるとは思わなかったので私もつらかったですけど、それ以上に多分、穂乃果の方が色々我慢したりすることが多かったから、つらかったのかなって」
(山内アナウンサー)「その時は寂しかった?」
(穂乃果さん)「寂しかったのかな…」
(母・理江さん)
「『障がいがある子を育てるのは大変でしょ』って結構周りから言われるんですけど、きょうだいの方を支えていく方がわりとつらいというか」
そんな時出会ったのが、難病の患者と家族を支える認定NPO「ラ・ファミリエ」でした。