あと6時間でみ仏の国へ

藤中松雄の長男と次男

<藤中松雄の遺書 二人の息子へ 1950年4月6日>
孝一、孝幸さん 父はあと六時間くらいしたら、こうちゃん、たかゆきちゃんにも別れて御佛の国へ召されてゆく様になりました。そうすると此の世ではもう、父の姿を見る事は出来ませんね。孝一、孝幸ちゃんはきっと淋しがる事でしょうね。しかし兄さんである孝一さんは、父がいつかの手紙に、「父はたとえ死んでも父の生命は何時如何なる時でも、孝一、孝幸ちゃんの心の中に宿っているのですから、父に逢いたい時は御佛を念じ、父を呼びなさい。そうすれば何時でも父は現われますから」と書き送った父の言葉を憶えている事と思います。もし忘れていたら、母ちゃんにもう一度百度読んで頂きなさい。以下は大切な事から書いて行きます。刻々時間が過ぎて行きますから。

父はなぜ死んでゆかねばならないのか

藤中松雄の遺書(福岡県嘉麻市 確井平和祈念館所蔵)

<藤中松雄の遺書 二人の息子へ 1950年4月6日>
父が忘れる事の出来ない可愛い孝一、孝幸ちゃんに最後の言葉として最も強く残して置きたいのは、
「父はなぜ死んでゆかねばならないか」
という事であります。父が死ぬばかりでなく、父が死ぬ事はおじいちゃん、おばあちゃん、母ちゃん、孝一、孝幸ちゃんにとっても最も悲しい悲劇なのです。その悲しい悲劇は、時に生活上の苦しみとなって来ます。

そうした結果をもたらした原因は何でありましょうか?それは、全世界人類がこぞって嫌う、いまいましい戦争なのです。父は今となって上官の命令云々等という時間の余裕がありません。戦争さえなかったら命令する人もなく、父が処刑されるが如き事件も起こらなかったはずです。そして戦場で幾百幾千万という多くの人が戦死もせず、その家族の人達が夫を子を奪われ、父を兄を弟を奪われて悲しむ必要もなかったのです。