■魚釣り、花火、駆け足も…「信頼が心の手錠」


37年前の1985年、報道特集は、それまで殆ど存在が知られていなかった“塀の無い刑務所”を初めて取材している。                 

造船所の中では60人の受刑者全員が駆け足だった。何と休みの日には近くの岸壁に釣りにも出かけていた。夏は寮の屋上で受刑者が花火を見物する姿があった。そして窓は常に開け放たれた状態で鍵もなかった。


当時の受刑者
「まさか刑務所で魚釣りとは思わなかったです」

当時の受刑者
「逃げようとは思いませんね」


大井造船作業場を開設した当時の松山刑務所長は開放処遇についてこう語っていた。


後藤信雄元松山刑務所長:
「塀の中に置いとかなくていい人がおるんです。結局、人間というのは信頼しなければ仕方がないですからね。信頼される事は心の中に手錠をかけられたようなものですよ。信頼されたものにとってはね」


友愛寮は塀や鉄格子がない、受刑者の自主性を尊重する“開放処遇”のモデルだった。