
久保光徳さん(82)。昭和37年に鹿児島市交通局に入局。市電の車掌として勤務しました。
(市電最後の車掌 久保光徳さん)「車内の切符販売。マイクがないので大きな声を出しても、お客さんが多いときは声がとどかなかった」

昭和44年。市電がワンマン運転に移行すると車掌が電車に乗ることはなくなりました。久保さんは、市電最後の車掌です。
(市電最後の車掌 久保光徳さん)「車掌をしている時に運転士に転向の指示がありましたので…くよくよ考えることはなかった」

ワンマン運転になってからは運転士がアナウンス、運賃管理など担いました。久保さんは、10年以上運転士として勤務しました。
(市電最後の車掌 久保光徳さん)「降灰ですね。昭和50年ごろはものすごい降灰量で、灰が降れば車内は窓を開けられないのでもうもうとしていた」

昭和56年の冷房車の運転開始セレモニーでは、運転士の代表として花束を受け取った久保さん。灰が降る鹿児島市街地を走る市電にとって、冷房は念願でした。

 
   
  













