外科医として働く夢。でも…

別の日の朝早く。ムタルさんは職場の同僚と身支度を整え、コイの池に向かいました。

春からの半年間、自然に放たれていたコイは、より太くたくましく育ち、大きいものでは体長90センチほどに。コイを傷つけないように、一匹ずつ慎重に池から揚げていきました。

【伊佐養鯉場の同僚】「もうムードーメーカーなので。楽しいですよ、毎日。錦鯉になかなか触れ合う機会ってないと思うので、サリフがこういう形であれ、錦鯉の仕事に携わってこうやって出会えて良かったなってすごく思います」

「本人は医師を目指してて、ウクライナで医師になりかけてたのに、それで戦争でこんなところに来てしまって…。これも何かの縁だとは思うんですけど、前向きにとらえてやっている感じがしますね

ウクライナでは研修医として働いていたムタルさん。しかし、日本ではその免許が使えず、望んだ仕事を続けることはできませんでした。

【ムタルさん】「外科医として働くことはずっと夢でしたし、今もその夢は捨てたわけではありません。でも今は、生きていかないといけません。ウクライナだけでなく、出身のガーナにも家族がたくさんいて、みんな私を頼りにしています

だから働いて得たお金のほとんどは、幼い兄弟の学費や医療費など、たくさんの面倒を見るために故郷に仕送りしています。プレッシャーもあります。大変ですね…。でも大丈夫。それが人生ですから