先日101歳で亡くなった村山富市元総理。1994年、自民党から突然思わぬ人物がやってきたことなど総理就任に至るいきさつや、自衛隊容認、戦後50年の「村山談話」などについて、政界引退後に地元記者のインタビューに赤裸々に語っていた。元大分放送報道部記者でジャーナリストの田中圭太郎氏が取材メモを掘り起こした。
「めぐりあわせの人生」
「国会議員をやったのも、党の委員長をやったのも、みんな自分の意思じゃないんですよ。そういうめぐりあわせでね、背中を押されてなった。そして委員長を1年もやらんうちにね、今度は総理大臣をやってくれって言うんですよ。『どこの国の話か、そりゃ』と言ったくらいですよ」
思いもかけず総理になったことを「めぐりあわせの人生」と表現していたのは、10月17日に老衰のため101歳で亡くなった村山富市元総理。
社会党委員長だった1994年6月、70歳の時に自民党と新党さきがけに担がれて内閣総理大臣に就任。1996年1月まで総理を務め、在任期間は561日だった。
冒頭の発言は2009年10月、福岡県北九州市で講演した際のものだ。2000年に政界を引退した村山元総理は、1995年8月15日に発表した戦後50年談話、いわゆる「村山談話」について国内外で精力的な講演活動をしていた。
大分放送報道部で勤務していた筆者は、2009年から2010年にかけて、地元大分市で暮らす村山元総理の活動に密着取材を行った。当時TBSテレビで深夜に放送されていた「報道の魂」やJNN九州・沖縄7局ネットの「ムーブ」、それに大分放送でドキュメンタリー番組を制作し、放送した。
政界引退後の村山元総理に何度もインタビューするなかで、総理就任から退陣までに起きたことの裏側を、本人の口から直接聞いていた。政界引退から10年が経った頃で、政治の生々しい話もあれば、後悔を口にすることもあった。
村山元総理の訃報に接し、当時の取材メモを読み直すと、番組では使っていない発言も多く残っていた。その中から、55年体制の下で対立し、「水と油」だった自民党と社会党が手を組んでの総理就任の内幕や、自衛隊合憲と日米安保を認めた政策転換、それに「村山談話」発表の経緯など、村山元総理自身が率直に語った「秘話」を掘り起こしてみた。














