兄の影響で小学1年生から野球を始めた栗山。両親は野球経験がなかったが母・理香さん、父・慎一さんはともに練習に付き合ってくれていたという。慎一さんはぶどう用ハウスに使う余ったネットで打撃練習用ネットを手作り。仕事を終えても疲れたそぶりを見せずにキャッチボールの相手をしてくれた。「きついとか言わずに練習に付き合ってくれたのには感謝しています」。
栗山は兄と二人兄弟だが、兄はすでに就職中。それでもぶどう農園の後継ぎを強制されたり、懇願されることはなかった。「何もすることがなくなったら日田に帰っておいでと言われた。好きなことをやらせてくれる。野球を仕事にしたいと思っているので、まずは全力で野球を頑張りきりたい」と力を込める。
支えてくれた家族へ「結果で恩返しするのが1番」
西南学院大を選んだ理由について栗山は次のように語る。「スポーツに力を入れている大学に比べて(環境が)恵まれていないということを知っていた中で、(同大出身の)小中建蔵さん(25、西濃運輸)が(侍ジャパン)大学日本代表の候補合宿に選ばれたことに衝撃を受けて、クリエイティブチームだったりアナリストチームだったり、組織力の強さに憧れてこの大学で野球がしたいと思った」。
栗山が惹かれた西南学院大の組織力。チームには選手以外に学生リーダー、学生コーチ、マネージャー、クリエイティブチーム、アナリストチーム、アセスメントチームの6部署があり、学生主体で緻密に運営されている。クリエイティブチーム内にある営業部では福岡市内の3000社に飛び込み営業を行い、そのうち1%にあたる30社から約210万円の寄付金を集めたこともあるという。主将を務める栗山もその組織の存在が「大きな支えになっている」と感謝を口にした。

















