5人きょうだいの末っ子だった史子さん
5人きょうだいの末っ子、四女として生まれた史子さん。兄は台湾に出征し、姉も県外に嫁ぐなどしていたため、両親と祖母、すぐ上の姉の家族5人で、戦火を逃れながら糸満の山城集落までたどりつきました。しかし6月18日、1発の砲弾で史子さん以外全員が戦死しました。

●上原史子さん「私はちょっと離れていただけで、至近弾があたったんです。2メートルぐらい飛ばされて、全員死んだんだなって。それから私はもう、生きるという希望がないんですよ。家族全員死んでしまったし、私も傷だらけだし」

直撃は免れたものの、砲弾の破片が右腕にささるなど大けがをした史子さん。なんとか近くの壕に逃れ、その後アメリカ軍の捕虜となりました。

80年経った今でも、家族を亡くした瞬間は、史子さんの人生に暗い影を落としています。

上原史子さん
「やっぱり6月になると、私、だいぶ変わってきますからね。精神的になるべく考えないように、考えないようにと努力はしています。だけど、寝る時が一番困るんですよ。それ(家族が亡くなった瞬間)が頭に浮かんでくるんですよね。あの時になぜ私が何かできなかったかなあって、その後悔と、なんで自分1人生きてるのに、何か私ができる方法がなかったかなっていう後悔とね」

戦後は4人の子どもにも恵まれ、現在は孫やひ孫に囲まれて暮らす日々。「あの体験は自分だけで十分」だと話す史子さん。戦後がいつまでも続くことを願っています。