戦争を体験した人や、その意思を継ぐ人、それぞれの思いをシリーズでつなぐ「#あなたの623」来年1月に100歳を迎える上原史子さんの戦争体験です。

上原史子さん
「この戦争で、家族全滅いたしました。私一人生き残ったので、当時は、一人生き残るよりはね、みんなと一緒に死んだ方がよかったという後悔もありました」
那覇市で生まれ、幼いころはピアノやバイオリンを習うなど裕福な家庭で育ちました。しかし、県立第二高等女学校を卒業した頃には、着実に戦争の足音が近づいていました。
父親が当時の南風原村宮平で織物工場を営んでいたため、沖縄戦の直前は南風原で暮らしていました。工場には日本軍が駐屯しており、戦火が迫ってくると南部に逃げるよう促されました。
上原史子さん
「(避難の道中は)壕が少ないですからね。(他人の)お墓を全部、お骨も全部出して、そして下の方にカバーか何か敷いて避難していたんです」
家族を一度に失った場所は、戦後長らく見つけることができませんでしたが、2018年、地域の人たちの協力などもあって、ようやく特定に至りました。
上原史子さん「ここら辺、全部死体でした。全部死体です。それで、ちょうどこっちから出て、体があっちで足がここら辺に切れているとか、もう死体が重なってるんですよ」