繰り返された“ペスト菌ノミ”実験

日本軍の軍属として勤めていた竹花京一は、戦後、自身の手記にこう綴っていました。

日本軍の軍属 竹花京一の手記
「鼠(ネズミ)にペスト菌を注射し、発病した鼠にノミをたからせ、ノミの胃袋にペスト菌が吸入されておれば、即ち細菌兵器となる」
致死率の高いペスト菌の実験を繰り返すなかで、部隊に多くの犠牲者が出ていたこともうかがえます。
日本軍の軍属 竹花京一の手記
「研究室では一日にかなりの量の汚物や危険物が出る。生菌の残存する危険性もあり、注意と根気強さの要求される仕事である。多くの遺体があのタンポイの丘に眠ったままではないかと気がかりです」

「岡9420部隊」を研究 リム・シャオビンさん
「(ガラス容器が)爆弾の芯の部分ではないかと推測しています」
リムさんは、こうして製造された細菌兵器が、ガラス工場でつくられた容器に詰められ、細菌爆弾になったとみています。
かつて部隊の研究助手だったシンガポール人のオスマン・ウォク氏も生前、裏付けとなるような証言を残していました。
「岡9420部隊」に所属していた オスマン・ウォク氏
「3~4か月に一度、日本軍はノミを巨大なガラス容器に詰め、数百万匹単位でタイへと列車で輸送していた」