10月13日に閉幕した大阪・関西万博。翌日には撤去作業が始まり、再開発に向けて動き始めました。
大阪府と市は跡地にエンターテインメント空間を整備する方針ですが、具体的な内容はまだ何も決まっていません。半年間、世界の人々と未来を見つめた場所はどう生まれ変わるのか。現場を取材する清水貴太記者が解説します。
◎清水貴太:MBS万博担当記者 誘致段階の2017年から大阪・関西万博を取材 前行政キャップ
夢洲はそもそも“負の遺産”
もともと“負の遺産”とも言われるような土地だった大阪・関西万博の会場「夢洲」。背景にあるのは二度の失敗です。
1つ目の失敗は、1983年に発表された、ベイエリアの夢洲・舞洲・咲洲に一大都市を作る「テクノポート大阪計画」。総事業費2兆2000億円という大規模な計画でしたが、バブル崩壊により頓挫してしまいました。
2つ目の失敗は、2008年夏季五輪の誘致に落選したこと。大阪にオリンピックを招致する構想の中で、885億円をかけて夢洲を選手村として活用する案がありましたが、そもそも大阪にオリンピックを招致できず北京での開催となったため、広大な土地が残されたままになってしまったのです。