それから10年。マラソンで素晴らしい戦績を残してきたが、その一方で故障にも苦しめられてきた。東京五輪前から23年3月の名古屋ウィメンズ(2時間22分32秒で3位。日本人2位)までは左脚脛の痛み、左脚ふくらはぎの痛み、右足かかとの疲労骨折など、たび重なる故障で長期間の低迷を余儀なくされた。

それでも前田は復活を遂げてきた。低迷していた期間のことを質問されると、「記憶がないんです」と答えることも多かった。走れない自分に向き合い、何ができるかを必死で考え続けたのは間違いない。だがそのプロセスを、頑張ったこととして人に話したくはないのだろう。

パリ五輪後に5か月近く走れなかった間も、「あまり覚えていないんです」と詳しくは語らない。確かなのは前田が再び走り始め、入社1年目と同じプリンセス駅伝を走ること。前田が紡いでいくストーリーをもう一度、見守って行くことができる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)