(津田憲一さん)「こんなうってつけの場所は、やっぱりないんだよね」

奄美大島と加計呂麻島に挟まれた大島海峡。リアス海岸の入り組んだ地形が天然の要塞として注目され、明治時代から太平洋戦争終結まで旧日本軍の施設が多く造られました。

奄美群島は、激しい空襲に見舞われました。

(鞠山重子さん)「徳浜と言えば、この白い砂浜ときれいな海」

加計呂麻島の徳浜地区で暮らす鞠山重子さん(70)です。

母親の国島静子さんは8年前、聞き取りで島を回っていた津田さんに、「戦後、旧日本軍から防空壕は住民を自決させるためだったと聞いた」と証言しました。

(鞠山重子さん)「(防空壕が)あるのは子どもの頃から見ていたが、単なる避難するためだろうなと。あまりにも自分の身近なことを知らなさすぎた」

津田さんは島におよそ30あるすべての集落を回って40人の証言を集めました。壕を掘ったと証言した10人のうち静子さんを含めて6人が「玉砕や自決のための壕だった」と証言しました。