シリーズ「昭和からのメッセージ」です。今年は戦後80年「集団自決」と聞くと、太平洋戦争末期の沖縄戦をイメージする方が多いかもしれません。しかし戦時中、奄美群島でも集団自決のための壕を掘っていたとの証言があります。
横浜市に住む元教員の男性がこの事実に再び光をあてています。
先月、奄美空港に降り立ったのは、横浜市に住む元中学校教員、津田憲一さん(71)です。今年7月、1冊の本を出版しました。

戦時中、瀬戸内町の加計呂麻島で集団自決のための壕があったとの証言を集めました。
(朗読)「『玉砕のための壕』、本当は集団で自決させる計画だった」「区長さんから『死に場所をつくりましょうや』との話があった」