『玉砕壕』…家族にもしたことない話

津田さんが加計呂麻島と縁ができたきっかけは8年前。中学校の教員を退職後、旅行で訪れた島で、当時96歳だった知人の母親から偶然、聞いた話でした。

(津田憲一さん)「飛び出してきたのが、山の上に防空壕を掘って『玉砕壕』と呼んでいたという話をされて。家族にもしたことない話をポロっとされたのが、すべてのきっかけ」

「玉砕」という言葉に津田さんが引っかかったのには理由がありました。2007年に起きたいわゆる「教科書検定問題」です。

(津田憲一さん)「こんなに地元では大問題になっているのかと。これが強烈だった」