母の涙に夫の死…語られた壮絶な半生

由紀子さんが「筋ジストロフィー」と診断されたのは、中学3年生のとき。

「あれ?手すりを使わないとバスのステップをのぼれない…」

違和感を覚えたのが始まりでした。

「母がいつも台所で泣いていたので、私が悲しむことはできなかった」
「なるべく、考えないようにした」

一心不乱に勉強に励み、薬剤師になった由紀子さん。同じ薬剤師である夫と26歳で結婚し、千葉県内で薬局を営むようになりました。

当時はまだ自分の足で立つことができていました。

しかし、筋ジストロフィーはゆるやかに進行し、40歳の頃から、車いすの生活に。それでも夫や息子が由紀子さんを支え、毎年夏には必ず旅行に出かけていました。

当時のガラケーには、由紀子さんの元気な声も残っています。

大井川鉄道の汽車に乗り、ホームにいる夫に「あ!手を振ってる!」と大はしゃぎの由紀子さん。隣で息子が楽しそうに笑っています。

しかし、10年前の60歳のとき、骨折を機に容体が悪化。呼吸量が低下し、意識障害で病院に救急搬送されました。救命第一でやむを得ず、気管を切開して人工呼吸器をつけることになり、声をほとんど出せなくなってしまいました。たんの詰まりや呼吸器の異常が命に直結するため、自宅での生活が難しく、家族と離れて病院で生活をすることになりました。

こうした中、息子から突然、電話がかかってきました。

41年連れ添った夫の喜世司さんが2022年に心筋梗塞で突然倒れ、76歳でこの世を去ったのです。コロナ禍で由紀子さんの病院の面会が厳しく制限されていた頃でした。

高橋由紀子さん
「10分でいいから会いに来てって言えばよかった」
「『私を残して死ねない』って言っていたのに…嘘つき!」

夫婦の生きがいだった薬局も、今はもうありません。

2012年→2025年

「たくさんケンカをしたけれど、亡くなると、良いことしか思い出せません」
「以前、生まれ変わったら誰と結婚する?って聞いたとき、『面倒くさいからニシキ(由紀子さんのあだ名)でいいよ』と言ってくれたなあ」