
鹿屋市には戦時中、3つの飛行場があり、戦争末期には航空機などで体当たり攻撃を行う特攻作戦の拠点になりました。鹿屋基地からは人間爆弾と呼ばれた特攻兵器「桜花」が出撃し、鹿屋と串良で国内最多のあわせて1271人が戦死しました。

今年は、戦後80年。迫さんたちは、終戦記念日の8月15日に戦争の遺構を巡る特別なツアーを開催しました。
(鹿児島市から参加)「知覧にはよく行くが、大隅の特攻は知らなかった」
(鹿屋市から参加)「これから80年、90年、100年。伝えなければいけないことが、いっぱい見つかった」














