戦争の記憶の風化をどう防ぐか。戦後80年、大きな課題です。次世代の語り部を増やそうと、日本遺族会が初めて、九州・沖縄の8県合同で語り部が実演する研修会を鹿児島市で開きました。
(4歳で父親亡くす 吉見文一さん)「父親がいないということは、劣等感でした。だから一生語ることはないと思っていた」
次世代の語り部の育成をめざす「平和の語り部大会」。日本遺族会が九州・沖縄8県合同で初めて開きました。
鹿児島市の吉見文一さん(84)。元教員です。父親は東部ニューギニアで戦死しました。しかし吉見さんは教員時代に、父のことを一度も語らなかったといいます。
きっかけとなったのは孫。父親を戦争で失った体験を話したところ関心を持ってくれました。それが、語り部の活動へとつながりました。
(4歳で父親亡くす 吉見文一さん)「どういうわけか敬老会に小学5年生がいた。この間、小学校で吉見さんの講演を聞いた。もう一回ぜひ聞きたいと思って来たと。語り継ぐことの大切さを実感している」
研修では、出征する家族を見送る朗読劇も披露されました。
(妹役)「お兄さん死んじゃだめよ。お姉さんのお腹には赤ちゃんがいるから」
(父親役)「何ということを言うのか。私らできとんと育てるから、心配しなくても良いから安心して行きなさい」
(大分から参加)「きょう各県の話も聞いて、朗読劇や慰霊塔の前での研修も取り入れていこうかなと感じた」
(日本遺族会語り部事業本部 細貝洋子本部長)「戦後80年になって、中核を担っていた遺児が80代を超えた。戦没者遺族の記憶を伝えてもらうことが、戦争を自分事として考えてもらうことになるので、より多くの語り部が必要。とにかく語り部にみなさんなってほしい」