体は誰のものですか?

(山本典良園長)
「最後に、クリスチャンがなぜハンセン病患者を救済できたかという話をちょっとして終わろうかなと思います。『体は誰のものですか?』という質問を(長島愛生園の見学者に)します。

大体、体は自分のものだという人が多いのです。日本人は。自分のものだと考えると、自分のものが病気になる。自分の体がハンセン病になる。自分の体が障害者だったりする。自分が悪いのですよね。自分のものと思ってしまうと、他人の体は他人のものなんです。他人の体が障害者だったら他人が悪い。持ち物が悪いのです。

ところが、クリスチャンというのは体は借り物なのですね。借り物が、たまたまハンセン病になった。借り物がたまたま障害者だった。という考えなのです。

だからこそ、いわゆるクリスチャンはハンセン病患者、先ほどの写真で見る患者さんに対していわゆる外面、外見ではなくて内面を見ようとするのです。たまたまのあの体です。でも、その中でどれだけ頑張っているかがその人の価値です。

例えば、日本で分かりやすくいうと、学生さんに向けていうのですけど、例えば全然勉強しなくても90点が取れる人がいます。一方、勉強しなかったら20点しか取れません。一生懸命頑張ったら60点取れるという人もいる。

では、その人の価値はどうですか?勉強しなくて90点取った方が偉いですか?そうじゃないでしょう。20点しか取れない人が一生懸命頑張って60点取ったと。その人の方が偉いでしょう。それがいわゆるハンセン病の体でも頑張ってる人の価値を認める社会じゃないとダメですよと。

そういう考えになる一つは「体は借り物だ」という考えです。あくまで借りたものです。人は長くて100年です、この世にいるのは。その後、天国行く。

クリスチャンの考えでは、借りた体で100年、この世でいろんなことを経験する。体の寿命が来たら『最後の審判』といって神様が判断するのです。天国に行くか、地獄に行くか。

これは宗教です。この世の100年間、非常に短い年月。その後、天国に行くか地獄に行くか、そこはずっと長い。100万年も1億年も。その、ずっと長い期間どうしたいですか?天国にいたいですね。では、この短い100年間の間にいいことしましょうねという考え。ですから、ハンセン病の体で頑張っている人の価値を認める目になるのですね」