岡山県瀬戸内市長島に、国のハンセン病療養所、長島愛生園はあります。
園長を務める医師の山本典良さんが、8月31日、岡山市北区表町の「詩人 永瀬清子とハンセン病文学の読書室」で講演しました。
山本園長が語った「ハンセン病に対する差別・偏見、コロナ禍を経て、いま伝えたいメッセージ」とは。全3回シリーズの第3回です。
「傷が増えるとどんどん手足の指がなくなる」長島愛生園の山本典良園長が語る「ハンセン病はなぜ忌み嫌われたのか」(第1回/全3回)
「因果応報 天刑病だといわれなき差別があった」長島愛生園の山本典良園長が語る「ハンセン病の歴史」(第2回/全3回)から続く

コロナ禍 教訓はいかされた?
(山本典良園長)
「コロナ禍で、ハンセン病の歴史が生かされたかというのをお話ししようと思います。ウイルスと細菌は違います。感染力も違うのですけどね。
ここにこういう本があります。『ハンセン病問題から学び伝える』。この本の、最初の推薦の言葉ということで全国ハンセン病療養所入所者協議会会長、その当時の協議会会長ですね、森さんの言葉が載ってます。大島青松園の自治会長をされている方です。
どのように書いてあるかというと、『コロナ禍の中で死の恐怖のため差別的言動がなされ、医療従事者やその家族に対してまで誹謗中傷が起きている。このような不当な差別はハンセン病回復者、家族への偏見差別と相通じるところあり、容認できない』。
長島愛生園の中尾伸治さんも、『今回のコロナ禍において患者や家族、医療従事者に対する偏見差別誹謗中傷が、かつてのハンセン病に対する仕打ちと非常に似ており、歴史が繰り返されると憂いやるせなく思う』といっています。
なぜ、繰り返してしまったかということですけど、実は『らい予防法』が廃止されて、『結核予防法』が廃止されて、全ての予防法をまとめて1998年に『感染症法』ができています。
その『感染症法』に何が書いてあるかというと、患者等の人権尊重が第一優先という風にすでに書いてあるのですね。感染防止対策をしないといけないのは、その病院の管理者のみ。他の人、国民も含めて行政も含めて患者の人権尊重が第一優先ですと言っているのです。
今回、コロナ禍でどうでしたか。ここで、やはり難しい問題があるのですね。感染症患者を受け入れるということはどういうことかというと、感染拡大と感染による死亡を許容するということです。
感染症ゼロを目指すことは、社会から患者を受け入れないということです。その両立は当然できるものじゃないのですね。
ところが、どこで線引きできるかというと、もう感染症による死亡をゼロにすると言うんであれば、これは『ゼロコロナ』です。ずっと続けないといけなかったのですね。
令和5年5月8日から『5類感染症』にはなったのですけど、5類になるのが欧米と比べてどうですかとちょっと考えてみたのですね。欧米の方が大体1年間早かったのです。
なぜ欧米のほうが1年間早かったかということを考えると、『命』と『自由と人権』どちらが大事ですかという問題に行き着いてしまうのかなと私は思ったのです。
感染症で亡くなる人をゼロにしようとする。それは『命』が大事だということですね。そのためには患者の人権はもう無視しようと。
よく長島愛生園の見学者、若い人たちに聞くのですけど、『命が大事ですか?あるいは人権、自由が大事ですか?』と質問します。
大体、ちょっと年配の方は、皆さん命の方が大事だと。自由人権は命あってのものだという。若い人たちは、半々です。多くても。でも、大体命の方が重要なのですね。大事なのです。
命が大事であると、命を守るためには全てのことをしないといけない。でも、果たしてそれが正しいですかということですね。
例えば、いまウクライナで戦争をしていますね。もし、命が大事であれば戦争はしません。『どうぞ、自分の領土を取ってください』となる。
でも、彼らは自由と人権を守るために命をかけて戦っています。
いま、日本はどうなのかなと思います。北海道を攻めてきたり、沖縄を攻めてきたら、誰が戦いますか。自衛隊は戦うでしょうけど、他の日本人は戦いますかというと、多分命が大事だから戦いませんよね。
だから、領土を取られてしまいますね。命が大事だとそうなってしまいますね。だから、どこかで、やはり人権が大事だというのを考えないといけないですね」
