才能も借り物

(山本典良園長)
「もう一つ言うと、体は借り物ですが、才能はどうですか?才能も借り物じゃないですかって話をします。

日本人見学者に質問します。『あなた方の両親が出会わないと、あなたはここにいますか?いませんか?』と質問します。大体日本人というのは両親が出会わないと自分はここにいないと思うのです。

これって、自分の存在価値(意義)が、両親になってしまうのです。何が起こるかというと、虐待とヤングケアラーです。まず、親の世話は自分たちが、子供たちがしないといけないと思うのですよね。

当然、親がいないと自分たちはここに存在しないと思うと、親の面倒を見るのは自分たちだと思ってしまうん。ヤングケアラーになってしまうのです。

もう一つ、親の虐待をひたすら我慢する。助けは求めないのですね。虐待はその後自分たちが大きくなって結婚して子供ができると、その子供が自分のものになってしまう。で、自分の持ち物になってしまうからいろいろ手が出てしまうのです。そういう考えになってしまうのです。

これを改めないといけないなというか、そういう考えにならないと、いわゆる障害者を見ても『障害者の面倒を見るのは親だろう』と。『親の面倒を見るのは子供だろ』という感覚が日本社会にあるのです。

まず子供が面倒を見る、まず親が面倒を見ると。それから、自分たち社会が面倒を見なければならない場合は見てやろうと。

違うのですね。こうなってしまうと、面倒を見ないと悪者になるのですね。社会が面倒を見ないといけないです。障害者も含めて、認知症の老人も含めて。そう考えるには、やっぱりその自分たちの存在が、親がいて自分たちがあると思わなくて、親から受け継いだ才能も含めて借りものなのです。あくまで。

で、日本の社会は、生まれによってスタートラインが違うのですね。裕福な家庭に生まれたらスタートラインが前に行ける。政治家の家庭に生まれたら、会社の社長の家庭に生まれたら、もうすでに勝っている。

それってもう到達点しか見ない社会なのです。それは、恵まれた人たちには住みやすいですよ。何もしなくても生きていけます。でも恵まれない、不運なところに生まれた人たちには、もう日本ではレッテルを貼られて生きていけないのですね。

そういう人たちは、日本を離れていきます。私は日本に生まれてきて良かったと思っていますので、これから生まれる子供も日本に生まれてきて良かったなと思って欲しい。ですから、そういう社会を作りたいなと思っています」