平成14年(2002)9月17日 初の日朝首脳会談

4年後、事態が動きます。当時の小泉総理が北朝鮮を訪れ初の日朝首脳会談が実現。金正日総書記が日本人13人の拉致を認めました。

しかし、このとき北朝鮮は客観的な証拠を示さないまま「5人生存・8人死亡」と日本側に伝えます。帰りを待ち望む家族には受け入れ難いものでした。

(るみ子さんの姉 平野フミ子さん)「鹿児島でテレビ見ている父ちゃん、母ちゃん。信じることできないからね。気を確かに持って。頑張ってね」

父・正一さんはこのとき、肺がんで闘病中でした。およそ1か月後、拉致被害者5人が帰国しますが、2日後、帰らぬ人となりました。

(増元照明さん・69)「最期に死ぬ直前に『日本を信じろ』と言った。それは私の目を見て言ったが、るみ子に言ったのだと思う。日本が必ず助けてくれると信じろと、姉に言いたかったのでは」