隔離の島に橋が架かりふるさとからの便りも

隔離の島と呼ばれた長島です。本土との距離が狭いところでわずか20m。ここに橋をかけてほしいと入所者が立ち上がりました。

架橋運動に乗り出して17年、ようやくかかった邑久長島大橋です。1988年、渡り初めのニュースが全国に流れると、ふるさとからの便りもあったと言います。

邑久長島大橋の開通

(入所者自治会 中尾伸治 会長/2021年)
「たまたま、(架橋セレモニーに)行った姿がテレビに出ていた。それを、母親が偶然見つけて、すぐ電話をよこしてくれたということがありました。(私がテレビに)映っとって悪かったかな?と母親に聞くと『いや、大丈夫や』と。

『テレビに映っとって元気な顔を見て良かったわと言うてくれたから、こっちも何かしらほっとした感じを受けたことがあるけどね」

菅直人厚生相(当時)

平成8年。
(菅直人 厚生相(当時))
「大変ご苦労をおかけしたことを、心から本当にお詫びを申し上げたい」

患者の強制隔離を定めた法律、らい予防法がようやく廃止に。89年も続いた世界に類をみない人権蹂躙の政策に対する国の責任も問われました。「隔離政策は憲法違反」と断罪されたのが2001年です。それから20年の時を経ても、故郷との関係にはしこりが残っています。

(入所者自治会 中尾伸治 会長/2021年)
「やっぱりそういうことがあったって、テレビに出てよかったって言ってくれたって、母親が体の調子を悪くしたときに見舞いに行こうかと言ったら、すこし考えてから『まあいいわ』と向こうから断ってきたりね。

やっぱり親でも、そういうこと(差別や偏見)がまだまだあるということがね。今でもそうだということ」