◆ひとりずつ刑執行の申渡し 順番を待つ松雄

副長の井上勝太郎大尉(左上)榎本宗応中尉(左下)
松雄の勘は当たり、まもなく部屋から連れ出された。石垣島事件で米兵を銃剣で刺突する現場を仕切っていたのは、榎本宗応中尉だった。松雄は石垣島で榎本中尉の世話になっており、恩義があった。そのため、戦犯として取り調べをされた当初、榎本中尉をかばって「自発的に刺した」と嘘をついたが、法廷では「命令があった」と証言した。松雄の階級は一等兵曹の下士官で、命令による殺害の実行役としての死刑執行は、他の事件と比べて格段に重い。
<藤中松雄の遺書>
七時半頃になっても訪問はなく、いよいよ今夜だという感触が益々強くなり、お念佛をとなえたり、写真を貼ったり、ここまで書いて居ると、又連れ出しに来る。今度は刑執行の申渡しである。手鍵を掛けられ、それを更にバンドでおさえ、階下に連れて行かれる、下に行くと榎本さんが一人、(両側に兵が立っていた)腰掛けて居ったので、そこで申渡しがあるのかと思ったが、そうではないらしい。誰か先の部屋に行き、申渡しを受けて居るのである。佛間の方から何かを読み上げる声がきこえて来る。待つこと二、三分。三、四人の兵に護られて田口さんが出て来る。それと入れ代りに、早速、榎本さんがやはり監視の兵に両腕を取られて行く。(自分も同じ)田口さんが帰って暫くすると、成迫さんが下りて来て、私の後に待たされる。
◆28歳、27歳、26歳・・・若者ばかり

松雄が階下へ行った時、すでに部屋の中で死刑執行の申渡しを受けていた田口泰正は、松雄の一歳年下で、この時27歳だった。学徒兵で予備少尉だった田口は、米兵殺害の前日、空襲で部下を3人亡くしていたことから、斬首役に指名された。26歳の成迫忠邦は、松雄と同じく下士官で、榎本中尉の仕切りによる刺突訓練の現場で、松雄の次に米兵を刺した。
スガモプリズンには5台の絞首台があり、7人は2回に分けて執行された。司令の井上乙彦大佐と副長の井上勝太郎大尉、米兵の一人目を斬った幕田稔大尉、二人目を斬った田口泰正少尉の4人が一緒に絞首台に上った。そして時間をおいて、榎本宗応中尉と藤中松雄一等兵曹、成迫忠邦上等兵曹の3人が一緒だった。