まさかの“センバツ補欠校” 「1番になるには」 考えを変えた年

金沢高校の監督を退任することが決まっていたとき、浅井さんは学校に飾られた数多くのトロフィーや盾のなかからあるひとつを指して話を始めた。

金沢高校時代 学校に飾られたトロフィーなどを前に(2011年)

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「私が意外に大好きな盾がひとつありまして。実はここにそっとひそかにあるんですが、センバツの補欠校になったときの盾」

1995年の選抜高校野球大会 「補欠校」になったときの盾

浅井さんが一番心にとどめている大会。それは、監督として迎えた2回目の春、1995年の選抜大会だった。

前年の94年の選抜大会は、秋の北信越大会で優勝した金沢と準優勝の星稜の2校が出場。そして次の秋の北信越大会、今度は優勝が星稜で準優勝は金沢に。2年連続でこの2校の甲子園出場が有力視されていたが、石川県からは星稜のみで、金沢は選ばれなかった。

センバツの出場校が発表されたとき、選手に伝えた言葉がその後の「浅井野球」を形作るものになった。

「やっぱり1位で出にゃいかん。夏な」

センバツ大会補欠校の知らせを受け選手たちに語る浅井さん

金沢高校・浅井純哉監督(当時)「それからまた野球が少し変わりましたね。選手ともうひとつをクリアするには2番じゃだめだ。1番になるにはどうしたらいいんだということで考えた年ですね」