次の参院選大敗は橋本龍太郎総理時代… 「すべて私自身の責任だ」

1998年7月12日に実施された参議院選挙、当時の総理大臣は宇野総理が参院選で大敗した際に自民党幹事長を務めていた橋本龍太郎が総理大臣でした。
1996年に発足した第一次橋本内閣のときにはアメリカのクリントン大統領との首脳会談で普天間基地の返還を要求し、日米両政府が全面返還に合意したことなどで高い支持率を得て、1996年10月におこなわれた衆議院選挙では自民党の大勝となりました。

第一次橋本内閣のときには普天間飛行場の全面返還に日米両政府が合意、1996年に行われた衆院選では橋本総理の国民的人気で自民党が圧勝しました。

しかし、その後の第二次橋本内閣では、内閣改造時にロッキード事件で有罪が確定していた佐藤孝行を総務庁長官に起用したことや、“ノーパンしゃぶしゃぶ”での接待が話題となった大蔵省接待汚職事件により三塚博大蔵大臣が辞任したことで支持率は下落。

このとき北海道拓殖銀行や山一証券、その他金融機関などの経営破綻が相次ぎました。山一証券の野澤社長の記者会見は企業の不祥事による会見があるとよく引き合いに出されますね。佐藤長官は辞任に追い込まれ、96年の衆院選とは違い、参院選ではバラ付けをする党幹部も険しい表情です。

また、アジア通貨危機に端を発する不景気に有効な経済政策が打ち出せなかったこと。行政改革と財政再建を全面に打ち出し、特別減税の打ち切りや医療費の引き上げ、緊縮財政を進めたことなどが敗因となり大敗を喫しました。
結果、獲得議席は45となり、選挙翌日には「すべて私自身の責任だ」と語り辞任となりました。

自民党幹事長時代の1989年と首相辞任時の1998年、あまり顔の印象が変わらないですね。1990年にはベストドレッサー賞も受賞しており、その立ち居振る舞いも第一次内閣時代の人気に繋がりましたが、山積する問題を前に大敗を喫しました。