■「おまえは何も言わずに笑ってればいい」

裁判の中で梯被告は、自分の行動を説明する際に何度も繰り返した言葉がある。それは『言えない』と『笑ってればいい』だった。その2つの言葉を梯被告が初めて口にしたのは、母親からの虐待の経験を語っているときだった。

「お前は何も言わずに笑っていればいい、と(母親に)言われました」

そして実際、梯被告はその後の人生を、本心は何も言わず、ただ笑って、過ごしていったようだった。稀華ちゃんを置いて鹿児島に旅行をすることを決めたのも、本心は何も言えなかったからだという。

検察官「鹿児島に行ったのはなぜですか?」
梯被告「誘われて・・・断れずに、行きました」
検察官「子どもがいるから無理と言えばよかったでは?」
梯被告「なぜか、言えなくて。本当は言おうとしたんです。でも言葉が出なくて・・・。それで、そうですねー、くらいしか言えなくて。本当は言いたくてたまらないんですけど・・・、なんか、言えない。自分にもむかついているんですけど・・・」
検察官「稀華ちゃんを連れて行こうとは思わなかったんですか?」
梯被告「連れていきたいけど、言えないし・・・。迷惑になるし・・・。まして、自分も行きたくないと思っていたし・・・、自分だけが行くことにしました」
検察官「誰かに(預かってもらえるよう)お願いしようとは?」
梯被告「言えないです・・・」
検察官「なぜですか?」
梯被告「言えないからです」


一般的な常識からすると「言えない」ことが、「子どもを置き去りにする」理由になるとは考えづらいかもしれない。しかし、弁護側は梯被告の行動を「虐待を受けていない人と比べてどれだけ非難できるのか、どれだけ刑務所に入れておかなければならないのか、考えてください」と訴えている。

■施設養育の課題 治療されなかったトラウマ

この裁判を、他人事とは思えず注目している女性がいる。生まれてすぐ親から育児放棄され、18歳まで施設で育った山本昌子(28)さんだ。現在は施設出身者の居場所支援などの活動をしている。命が失われたことは許せないと前置きしたうえで、この事件を“特別”とも言いきれないのではないかと感じたという。

「報道を見て、梯被告は児童養護施設出身なんだ。そして彼女自身も、新聞に載るくらいの虐待を受けてたんだと思いました。施設ではおそらく普通に見えたんじゃないかと思います。笑っていて、心配ないのかなって、周囲は積極的なケアはしなかったのかもしれないと思いました。大変な虐待を受けて、施設でケアがされずに育ったのなら、寂しくてしょうがなくて、その瞬間を生きるために、彼女自身が生き抜くために、常識的な判断ができないのかもしれないと思いました」

この事件を受け山本さんは、虐待で施設などで暮らす子どもや、施設を出た若者への心のケアの拡充を求める署名活動を始めた。児童養護施設に入所する子どもの半数以上が虐待を受けている現状の中、子どもへの心理的ケアが行き届いていないことが示唆されたと感じたからだった。2021年7月には4万人以上の署名と提言書を厚生労働省に提出している。

梯被告にとって施設とはどんな存在だったのだろうか。弁護人に稀華ちゃんを施設に預けようと思わなかったのか問われた際には、こう述べている。

「少し思ったけど、うちは施設をいいように思っていなくて、入れたくないなって」

施設で育っている間も、職員、子どもたち、周りのみんなが、虐待をした母親と一緒に見えて、顔色を伺い、本心は言わずに、常に笑っていたと話した。カウンセリングを受けた経験はあったが、その際も自分の虐待の経験については言わなかった。

証言台に立った臨床心理学の専門家は、梯被告が施設で育った影響について、“古いタイプの集団養育”で、個として大切にされることがなかった点に注目している。主たる養育者が不在だったことによる愛着形成の問題に加え、虐待によるトラウマを認識していたにも関わらず、治療やケアがされなかったことが、梯被告のその後の人生へ大きな影響があっただろうと指摘した。