清さんの日記です。

『不時着特攻兵の見送りに、紘一を連れて山を下る。海岸に出て4人を見送る。涙で声も出ず』
戦後数十年を経て、清さんは不時着兵の遺族を探し出し、手紙のやりとりを続けました。遺族からの手紙には、スケッチや直筆の署名が唯一の遺品になったことや亡き家族への思いがしたためられていました。

清さんは著書の中で、中之島での戦争体験をこう締めくくっています。
(清さんの本)「孤島僻地の中之島などは戦争とはほとんど無縁の所だと思っていた。しかしそれは全く誤りで、日本全国どんな所でも過酷な体験を強いられた。ある時に思い出してため息をのむ。一体戦争とは何であったのだろうか。戦争に明け暮れた年月は空しいと思う。しかし、ひたすら国のために民族の興亡をかけて自分の命を捧げるという信念で特攻機に乗って消えていった若い命を無駄にしてはならない。それが生き残った者に課せられた大きな責任である。」