
父の清さんは後年、日記をもとに1冊の本にまとめました。「黒潮の譜 戦時中の十島記」。
清さんが中之島の国民学校で校長を務めていた太平洋戦争末期。戦況は日増しに悪化し、機銃掃射により教員住宅が大破したこと、ツワブキやタケノコで命をつないだことなどがつづられています。

描かれていたのは、特攻兵です。
(宮山紘一さん・86)「特攻の飛行機もよく不時着するわけです」
鹿児島から沖縄に向けて飛び立つ特攻機や戦闘機のルート上にある中之島。飛行機が不時着することもありました。

当時小学生だった宮山さんにはこんな思い出があります。
(宮山紘一さん・86)「特攻兵はおにぎりを持ってるんですよ、白飯の。それを私たちにくれたんです」
父・清さんはスケッチを描くなどして、特攻兵たちと交流をしていたといいます。

(宮山紘一さん・86)「サイン(署名)までもらって、特攻兵の。教員宅に泊めて食事などを提供した」