社史の編纂に携わるなど、広島電鉄の歴史に精通する藤田睦さんに経緯を聞きました。

広島電鉄 広報・ブランド戦略室 藤田睦さん
「1945年8月9日、原爆が落ちてから3日目、ちょうど我々の電車が己斐から西天満町(現・観音町電停)の区間で運行を再開した日からちょうど80年ということで、電車を走らせようということになりました」

原爆で広島電鉄の職員は185人が殉職。千田車庫には御霊を慰める慰霊碑が建てられています。電車は、123両中108両が被災。156号もそのひとつです。

広島電鉄 広報・ブランド戦略室 藤田睦さん
「この車両は当時の江波、今の舟入南の辺になるんですが、その辺で被爆しています。写真が残っているんですけれども、ガラスが割れたりしました。幸いにも焼けたり大きく壊れたことは無かったんですけれども、被害は受けています」

156号は大破を免れて運用に復帰し、広島の復興を支えてきました。被爆電車にはほかに650形もありますが、156号は1945年当時で一番多いタイプの電車だったということで、藤田さんは「当時の雰囲気を味わえると思う」と話していました。

節目を迎え、156号に訪れた出番を前に、整備に携わった広島電鉄千田検車係の中村洋係長に車両を案内してもらいました。

シンプルな車内。木目調のレトロなデザインを白熱電球が包み込み、板張りの床の下には、モーターが隠れています。

広島電鉄 千田検車係 中村洋係長
「26Kwのモーターが2つ付いています。車軸にモーターが乗っかっているイメージですよね。大きなギアと小さいギアの2つがあって、軸に対して大きなギアが1つ、車輪に対して小さなギアが1つあります」

車軸の上のモーターの回転を、小さなギアと大きなギアが噛み合って車輪に伝えることで、電車は前へと進みます。その原理は、最近の新型車両でも変わりません。

広島電鉄 千田検車係 中村洋係長
「低床車両もそうですね、モーターを回してギアで車輪に伝えていますので、ほぼ一緒です」

待ち客に行き先を知らせる方向幕も、昔ながらのスタイルで残っています。いまはLEDが主流で、幕式で残っている電車も電動で幕が回りますが、この電車は手回し。中村係長は重そうに幕を回していました。

156号には「チンチン電車」の語源とも言われる装備も。

広島電鉄 千田検車係 中村洋係長
「昔のように車掌さんが居たときには、このベルがついて発車合図を鳴らすようについてます」

2回「チン・チン」と鳴ると「発車オーライ」の合図です。