実は、モンゴル抑留者のおよそ1割は民間人だったのです。
万里の長城東端の都市・山海関にまで侵攻したソ連軍は、兵士はおろか、逃げ遅れた民間人をも捕虜にしました。

【井手裕彦さん】
「収容所に連れていかれて、選毛工場で働かされて、収容所の衛生環境の悪さから発疹チフスにかかり入院して、2月5日に亡くなりここに埋葬された…」

【森井広子さん】
「これだけ調べてもらって本当にありがたい。ぎりぎりセーフ。私の代でそういうこと分かったから」
森井さんは、かつて伯父の弘さんが育った家を案内しました。
「すごく優しい兄だった」と、かつて母親が話していたそうです。
