「南北之塔」に込められた願い
沖縄戦を生き延びた、北海道弟子屈町出身の元アイヌ兵・弟子豊治さん。

元アイヌ兵 弟子豊治さん(1993年)
「思い出す。夢を見る時がある。ふいに米軍が現れて、騒いでいるような夢を見る」
弟子さんは31年前、このインタビューの後に亡くなった。

弟子さんの妻 桂子さん(82)
「平和だから、親だ兄弟だって仲良くできる。いざ戦場だと、自分の身を守るのが精一杯とよく(弟子さんが)言っていた。『戦争はするもんじゃない』。それはよく言っていました」
弟子さんは、戦火に散った仲間の姿が忘れられなかった。
元アイヌ兵 弟子豊治さん(1993年)
「沖縄行ってくるよ、もう1回。線香あげてお参りしてくる」
戦後、弟子さんは戦没者を弔うため幾度となく沖縄に足を運んだ。
その場所は、糸満市真栄平。ガマと呼ばれる洞窟がある。案内してくれたのは、地元住民の仲吉喜行さん。かつて、そこにはアイヌ兵か地元住民か誰のものかもわからない多くの遺骨が無造作に集められていた。

真栄平の住民 仲吉喜行さん(1993年)
「弟子さんが最初に来た時は、ここに遺骨が全部投げ込まれていた。これを見て弟子さんは『このままじゃいけない』と言って、いつか立派な塔をたててやろうと考えていた」
この場所に1966年に建てられたのが「南北之塔」だった。その後の映像には、アイヌ伝統の先祖供養の儀式、“イチャルパ”を行う弟子さんら、北海道から訪れたアイヌたちの姿が残っている。

「南から北まで、身元がわからない戦没者の遺骨を納め、慰霊したい」。戦後も沖縄の住民たちと交流を深めた弟子さんたちは願いをこめた。
弟子さんとともに南北之塔に携わった、アイヌの四宅豊次郎さん(87)。北海道釧路市の高齢者施設で、スムーズな日常会話が難しくなった今も当時のことは覚えていた。
看護師
「聞こえます?沖縄戦のことでお話聞きたいんですって」

Q.南北之塔のことは覚えていますか?
南北之塔に携わったアイヌ 四宅豊次郎さん
「よく知っています。南北之塔は、一生忘れたことはありません」
今年1月。南北之塔を訪れた親子が沖縄にいた。

釧路市出身のアイヌで、20代の頃から沖縄に暮らす玉城美優亀さんと、長男の寿明さん。南北之塔の意味を伝え残したいと考えている。
玉城寿明さん
「だいぶ汚れているね」
慰霊碑の前に溜まった落ち葉と、枯れた花。南北之塔では5年に1度、アイヌの先祖供養、「イチャルパ」が行われてきた。しかし、その儀式は20年前から途絶えていた。南北之塔がアイヌだけの墓だと誤解されたり、遺族が高齢化したりしたためだ。
2人は北海道から再びアイヌたちに来てもらい、沖縄の人たちと共に慰霊をしてほしいと考えていた。

玉城寿明さん
「ここで多くのアイヌの方が亡くなられているっていうのは事実ですから。ぜひ慰霊をしていただきたい。喜ばれるんじゃないですかね」
玉城美優亀さん
「今からまたね、手を取って仲良く。本当にここ(南北之塔)だけ、アイヌと北海道が関わってるというのは。平和になるためにはどうしたらいいのか、本当に考えさせられる。ここが原点」