戦地に「平等」求めたアイヌ

父が元アイヌ兵 濱田清孝さん
「どれだけ自分のことが好きかわからないけど、これを作った」

旧満州の部隊に所属した元アイヌ兵・濱田寛さん。差別を受けたにもかかわらず、部隊での自身の活躍について誇らしげに記していた。

「成績優秀にして進級は、各階級とも第一選抜であった」

得意だった馬の世話で上官に気に入られるなど、寛さんは、軍の中で二等兵から軍曹まで昇進した。

父が元アイヌ兵 濱田清孝さん
「戦争に行って認められたいんだと。頑張って、手柄を立てて見返してやるという人もいっぱいいたのではないか」

アイヌの近現代思想史を研究する国立民族学博物館のマーク・ウィンチェスター助教は、戦争に「平等」を求めたアイヌ民族も多数いたのではないかと指摘する。

国立民族学博物館 マーク・ウィンチェスター助教
「北海道の植民地化によって被ってきた不利な部分を、自分たちが徴兵されることで、やっと平等な立ち位置に立てるという状況」

なぜ?沖縄に眠るアイヌ兵

戦死したアイヌ兵たちが眠る場所がある。沖縄・糸満市真栄平。木漏れ日が差し込む集落の高台に「南北之塔」と刻まれた慰霊碑が佇んでいる。

「キムンウタリ」。アイヌ語で、「山の友」という意味だ。なぜ遠い沖縄に、北海道の先住民族の言葉が刻まれたのか?

国内最大の地上戦とも言われる沖縄戦。死者は日米合わせて20万人以上。沖縄県民の約4人に1人が亡くなった。実は、沖縄戦での北海道出身の戦没者は1万人余り。沖縄県に次いで2番目に多い。

沖縄戦を生き延びた北海道の男性(2021年)
「死体がゴロゴロ…。一番かわいそうだと思ったのは、母親が子供を背負って、(体が)半分になって、片方では子供が泣いていて母親が死んでいる。こっちには、母親の胴体がある、道路の反対側に。そんなのがもうずっと…」

沖縄戦でのアイヌ兵の戦死者は少なくとも43人。同化政策の影響などで、正確な記録は残っていない。