「自分はもうだめなんだと子どもながらに」

かろうじて生き残ったユキエさんでしたが、すぐに体にも異変が生じました。
ユキエさん
「髪の毛が抜けてね。その時はもう丸坊主になって、全部抜けた。それで『もう生えないよ』って言われて」
看てもらった病院で、母が医師から言われた言葉が聞こえてきました。「この子はもうだめだから、よくみてやりなさい」
ユキエさん
「『もう命がない』って。私のおる前で言ったんだね、先生が。もうね、髪の毛も丸坊主なってるし、やっぱり自分はもうダメなんかな、と子供ながらでも思った」
8歳で死を覚悟しました。
ユキエさん
「でも半年ぐらいでね、ぼつぼつ生えてきましたよ。親も喜んでね、『もう大丈夫じゃね』『髪が生えるね』って」
終戦から数年間は広島で暮らしていましたが、その後、九州へ引っ越しました。その後、広島に戻ってきましたが、実家があった場所には訪れたことはありませんでした。

今年5月。ユキエさんと秀雄さんは、広島市中区にあった実家を約80年ぶりに訪ねました。手をつなぎ、ゆっくりとした足取りで向かっていきます。いま実家があった場所は、マンションが建設されようとしていました。それでも─。
ユキエさん
「(Qご自宅のご記憶は?)広い家でね走り回っていた。2階も、広くて、兄と姉がよくケンカしてね」
懐かしそうに話すユキエさんと秀雄さん。2人とも80歳を超え「出来るだけ会っておこうね」とお互い話します。「実家」へと続く道を手をつなぎながら歩く2人。「初めて手繋いだね」と照れる秀雄さんに「本当じゃね」とユキエさんは笑いました。