「あの男の子は私」秀雄さんは3年前に名乗り出て

秀雄さんは3年前に自分が映像の男の子だと名乗り出て、体験を語るようになりました。しかし─
秀雄さん
「私は3歳と2か月だから、覚えていないんですよ」
秀雄さんは爆心地から約1キロの自宅で被爆。倒壊した家屋の下敷きになりましたが、「『秀雄がここにおる』と兄が見つけてくれたそうです」。当時11歳の兄・定男さんが見つけてくれ、命が助かりました。

逃げるときに見た燃えている橋、水を求める女性…。秀雄さんには断片的な記憶があります。被爆証言をする機会も増え、記憶を補うため、ユキエさんにあの日の状況を聞くようになりました。
それまでは、ユキエさんも原爆の話はほとんどしなかったといいます。もちろん、被爆体験を誰かに話すこともありませんでした。そんなユキエさんでしたが、被爆80年となる今年、初めて取材に応じ、あの日の記憶を語ってくれました。