戦後、教員になるも「生きているのが申し訳ない」

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終戦後、故郷の津山に戻り高校の教員になりました。平穏な日々、しかし…

(多胡恭太郎さん)
「自殺しようと思ったこと何回もありますよ。友達のことを思うとね。申し訳のうてね…」

「俺だけが生きていて…俺も首つって死んだら楽だろうな、と思ったこと何回もありますよ」

生きていることが申し訳ない…罪悪感を抱えながら仕事と子育てに没頭しました。幾度となく夢に見る仲間の顔、もう、戦争は忘れてしまいたい…。家族にも自身の経験を語ることはありませんでした。

出撃前夜の隊員たち 口ずさんだのは「軍歌」ではなく…

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(多胡恭太郎さん)
歌「ほろほろこぼれる白い花を…うけて泣いていた愛らしいあなたよ」

今も耳に残る歌。出撃前夜の隊員たちが口ずさんだ「森の小径」です。

(多胡恭太郎さん)
「悲しくて青い空仰いだ」

特攻隊員が最後に歌ったのは軍歌ではなく、大切な人を思う歌でした。彼らは特別ではなく、普通の若者だった‥・。

(多胡恭太郎さん)
「二十歳や二十一でね人間は悟りなんかできないですよ」

「手を振ってね。爆弾積んで滑走路を行ったと思ったら、わざと飛行機を滑らせて飛行機をひっくり返して助かろうとした人もいた。それが生への執着ですよ」

「あの当時の人は潔く死んだと思われているが今と同じですよ」