なぜ『見習士官』に?「怖かったから、早く死んだ方がいいと」

200キロを超える爆弾を積んだ飛行機で、敵艦に体当たりをする「特攻」。かつて、その特攻隊の作戦室で任務にあたっていた男性。津山市に暮らす多胡恭太郎さん(100)です。

(多胡恭太郎さん)
「大学の2年生のときにね、志願して『陸軍特別操縦見習士官』という飛行機乗りになったんですよ」

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戦争末期に作られた「特別操縦見習士官制度」。大学生などから志願者を募り不足する航空機の操縦者を、短期間で養成する、まさに「特攻隊員への道」でした。ペンを操縦かんに持ちかえた多くの学生たち、、、多胡さんもその一人でした。

(多胡恭太郎さん)
「わしの若かりし日、これ見てみ、いい恰好しとるじゃろう」【画像④】

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津山市で生まれ育ち、関西学院大学に進学。在学中に志願して、陸軍飛行学校に入りました。当時は皆が戦争に行くという風潮だったといいます。

(多胡恭太郎さん)
「(陸軍飛行学校に入ったのは)世論だ世論」

ー死ぬのは怖くなかったんですか
「怖かったから、早く死んだ方がいいと思った」

「長いことおると、いろんな怖い目にあうでしょう。いっそ飛行機でドーンと行ったらそれで終わりじゃから、とそういう気でおったね」

「我々の時代はね、大体人生二十二年。二十二歳ぐらいで、大体皆死ぬるようになっていた」