戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」。第二次世界大戦後、アメリカ兵と結婚し、海を渡った日本人女性たち。「戦争花嫁」と呼ばれています。94歳の桂子・ハーンさんもその一人です。日本とアメリカで差別や偏見と向き合いながら生き抜いたその半生が、舞台『WAR BRIDE-アメリカと日本の架け橋 桂子・ハーン-』として描かれます。

主演を務めるのは俳優・奈緒さん。桂子さんに直接会うため、アメリカを訪ねました。戦争の記憶を次の世代へどうつないでいくのか。奈緒さんと一緒に考えます。

つないでいく記憶と思い 俳優・奈緒さんが“戦争花嫁”を取材

奈緒さんには、どうしても会いたい人がいました。

奈緒さん
「初めまして」

その会いたい人は、桂子・ハーンさん(94)。「戦争花嫁」と呼ばれる女性の1人です

「戦争花嫁」とは、第2次世界大戦後、アメリカ兵と結婚し、海を渡った日本人女性のこと。
その数は4万5000人を超えると言われています。

2年前、私たちは「戦争花嫁」をテーマにしたドキュメンタリー映画『War Bride 91歳の戦争花嫁』を制作。

その作品が原案となり、今回、舞台化されることになりました。主人公、桂子・ハーンさんの役を奈緒さんが演じます。
(「WAR BRIDE-アメリカと日本の架け橋 桂子・ハーン-」8月5~27日 よみうり大手町ホール ※兵庫・福岡公演あり)

奈緒さん
「祖父がもう亡くなっているんですけど、戦争を経験して。当時、全然祖父がその話をしたがらなくて聞けなかった」

“桂子さんの言葉を直接聞きたい”。奈緒さんは、そう考えていました。

いまから80年前、1945年、横浜大空襲。
当時、桂子さんは14歳。住んでいた街は…

桂子・ハーンさん(94)
「何も残っていませんでした。茫然としました。人生の終わりかと思いました。私は戦争を憎むようになりました」

しかし、桂子さんは戦後たった5年で、アメリカ兵のフランクさんと結婚し、海を渡りました。

なぜ敵国だったアメリカ兵と結婚したのか。

奈緒さんは、2人の出会いから尋ねました。

桂子・ハーンさん(94)
「マッカーサー(ダグラス・マッカーサー元帥)のことご存じ?」

奈緒さん
「はい…鳥肌たっちゃった。教科書で聞いてたお名前だから」

夫は、フランク.L.ハーンさん。マッカーサー率いる第8軍に所属する、純粋な優しい青年だったそうです。
2人の出会いは、桂子さんが座間にある米軍基地で働いていたときのこと。

桂子・ハーンさん(94)
「お友達になって、(フランクに)『私は全然キャンプの外に出かけたことない』『(日本を)案内してくれないか?』と頼まれて、初めは『嫌だ嫌だ。しません。しません』と言ってたの」

奈緒さん
「そうなんですね」

桂子・ハーンさん(94)
「世間の人が私を変に見るんですよ」

戦後の混乱期、“当時はアメリカ兵と歩いているだけで「娼婦」に思われた”といいます。

実際に、そうした仕事を選ばざるを得なかった女性もいる中、「差別」や「偏見」が、日常の中に広がっていました。

それでも、なぜフランクさんと結婚したのか。

桂子・ハーンさん(94)
「彼を敵だと思ったことがない。本当に友達と結婚するような感じ」

こうして結婚し、渡米した桂子さん。しかし…

桂子・ハーンさん(94)
「アメリカでも差別を受けました。他の人(日本人女性)たち、もっと酷いことがあったと思います。世間と戦ったわけですね」

奈緒さん
「その世間と戦っているときは、どういう思いがありましたか?」

桂子・ハーンさん(94)
「自尊心ですね。日本の自尊心。日本を誇りにできる女性。アメリカが私を誇ってくれるような女性になりたかった」

その後、桂子さんは、“アメリカと日本の架け橋になろう”と活動を続けました。

桂子・ハーンさん(94)
「戦争がない国が、一番私の望み。どちらの国に行っても、自分の国と思ってます。一つの国に留まらないで、人間としての愛が両国に伝わっていく。やっぱりありがたく、嬉しく思ってます」

旅の最後、2006年に亡くなった、夫・フランクさんのお墓に案内してくれました。

桂子・ハーンさん(94)
「あなた心配して死んでいったけど大丈夫。私は絶対に大丈夫。みんなに守られているから。だから安心して」