1974年12月、「さそり」の最初の事件。戦時中の強制労働や拷問を理由に、建設会社の資材置き場に爆弾を仕掛けた。爆発によるけが人はなく、黒川受刑者は予定通り作戦を終えたことを3人で祝ったと振り返る。
黒川受刑者の手紙より「缶ビールと即席ラーメンでささやかな酒盛りをしました。桐島がちあきなおみの『喝采』を歌い出しました。ビール缶や茶わんを箸で叩いて3人で声を合わせて歌いました」
翌年4月、「さそり」は単独で別の建設会社に爆弾を仕掛けた。この爆破で、当直を担当していた1人が重傷を負った。黒川の手紙によると爆弾は、この日初めて、桐島容疑者が設置したものだった。

事件後、桐島容疑者がつぶやいた言葉を、黒川は覚えていた。
黒川受刑者の手紙より
「まいったなどうしようこんなことになるなんて」

作戦継続を確認し合ったものの、黒川受刑者の目には桐島容疑者が「心の底から納得してはいなかった」ように映ったという。
「(桐島は)『なんてことをしてしまったんだ』っていう思いが表情に出ていましたね。『取り返しのつかないことをしてしまった』と」
そう語るのは「さそり」の元メンバー宇賀神寿一さんだ。黒川受刑者と同じく、動揺する桐島の姿を鮮明に覚えていた。