「故人」を「再現する」とは?
そのためには、まず「故人の再現」という現象について、解像度を高めた上で整理していく必要がある。
まず、「故人」とは誰を指すのか。自分と同じ時代を生きた人か、少し前の時代の人か、それとも写真すら残らないようなはるか昔を生きた人か。近親者なのか、知人なのか、有名人なのか。さらには、公人であっても誰かにとっては家族や親しい人であるわけで、故人との関係性によって見えるものは異なる。
次に、「再現する」とはどういうことか。
史料をもとに書かれた伝記や物語、マンガやアニメも広い意味では故人を再現していると言えるだろう。たとえばNHKの大河ドラマでは、時代考証をもとに、脚本のみならずセットや衣装が作られる。わずかな手がかりしかないような人物が立体的に再現され、演じられる。
歴史上の人物であれば、その再現された姿も多岐にわたることがある。585作品・703名の織田信長を紹介した書籍「信長名鑑」(注1)では、作品ごとに容姿や性別、作中での役割が異なる多様な信長像が並ぶ。その中に史実に最も近い像があるのかは確かめようもないが、これまで信長像がどのように受け止められ、醸成され、創造性と組み合わされたのかを見ることができる。私たちはこうした「再現」を、すでにテレビや映画で日常的に目にしている。
デジタル技術を用いた再現も、すでに私たちの生活に浸透している。
葬儀で掲げる遺影をスナップ写真から切り出して服を合成したり、少し鮮やかに加工したりすることは以前から行われてきた。CGで歴史上の人物を描いたり、博物館で当時の人物をホログラムにして、展示を案内したりする例もある。
さらに、こちらの問いかけに応じて返答する──つまり「会話ができる」状態も、生成AIを用いれば実現できるかもしれない。白黒写真をカラー化する、写真の中の人物がほほえむ短い動画を作る、といったこともAIが可能にした再現の一端であり、再現の精度やリアリティはこの数年で飛躍的に向上している。
特に生成AIの登場は、「故人との対話」という体験を以前よりも容易に実現する可能性を秘めている。故人が生前に残した文章、音声、動画などから学習したAIが、その人らしい口調や文体で応答することも技術的には可能になりつつある。
このように「故人の再生」を整理してみると、その中には私たちが以前から受け入れてきたことと、近年の技術が可能にした新しいことがグラデーションのように存在していることが見えてくる。