呉の市街地を襲った大空襲から1日で、80年です。体験者が当時の様子を地元の児童たちに語りました。
斉藤信禎さん
「80年前の今日です。だいたい夜8時頃だったかなぁ空襲警報が鳴ってですね」
呉市の長迫小学校で、空襲の体験を語ったのは、斉藤信禎さん(88)と小林冨子さん(81)です。2人は、4年前から呉空襲の記憶や戦時中の体験を子どもたちに語り継いでいます。
軍港があった呉市は、1945年3月から米軍の空襲を度々受けました。80年前の7月1日、市街地への無差別爆撃が行われ、1949人の市民が犠牲になりました。
斉藤信禎さん
「バーとね、街全体が火の海。すごいですよ。想像してね、呉市の街が全部焼けちゃう。それから一週間あとです。街のいたる所から煙が上がりだした。何かというと焼け死んだ人の死体をそこで焼く」
児童たちは、メモをとったりして真剣に話を聞いていました。
児童「戦争の時には貧しい暮らしというのが分かりました」
児童「食べ物が無かったから餓死することを考えると辛いと思いました」
斉藤さんたちは、今後も呉空襲の記憶を子どもたちに語り継ぎたいとしています。