■「一家全員が・・・」事件の引き金は“あの病”だった-
2021年11月4日。東京地方裁判所で行われた、裁判員裁判の初公判。
法廷に着くと、扉には「満席のため入れません」の札。扉越しに耳を澄ますと「事実関係はいずれも争わない」と、母親の弁護人の声が聞こえてきました。母親が、自身の罪について認めたのです。
続く内容を聞き漏らすまいと、扉に耳を押しつけたとき、事件のきっかけとなったある事実が明らかになりました。
「被告人の夫は事件の直前、4月18日に突然亡くなりました。新型コロナウイルスによる肺炎でした」
「その後、被告人も長女も新型コロナに感染し、長男も感染しました。1家4人全員が、新型コロナに感染したのです。今回の事件はこのことが、動機につながっています」
事件の引き金は、新型コロナだったというのです。
■悲しみ、コロナ、さらに降りかかる困難- 母親の糸は切れた
その後、席を立った傍聴人がいたため法廷に入れた私は、そこで初めて母親の姿を目にします。
黒のス-ツを着た、肩にかかるくらいの髪の長さの、細身の女性。刺身包丁を子どもの胸に突き刺すようには、到底見えませんでした。
コロナで夫を失い、自らも感染したことが、なぜ事件につながったのか-
証言台に立った母親の口から、少しずつ経緯が語られていきます。
弁護人「夫の死後、あなたも新型コロナに感染したのですか」
母親「夫が亡くなった翌日に死因がコロナだったと判明して、私と娘は体調が良くなかったのですぐに病院に行き、それで感染したことが分かりました」
弁護人「入院はしなかったのですか」
母親「保健所から自宅療養するようにと言われました」
弁護人「コロナ感染が分かってからの体調は」
母親「倦怠感と発熱で、とにかくだるかったです」
弁護人「自殺を思いついたのはいつごろですか」
母親「1人でぼ-っとしているときに、しんどい、死にたいと」
弁護人「それは、どうしてですか」
母親「夫が、心の支えが急に亡くなり、こう・・・さみしくて」
弁護人「あなたにとって夫はどんな存在だったのですか」
母親「とても家族思いで、仲良く過ごしていて、いつもどっしり構えて。歳も6つ上で頼りがいがあって、いつも正しい決断をする、心の支えでした」
コロナに感染し体が弱るなか、夫を失った悲しみで、将来を悲観するようになった母親。
追い打ちをかけるように、ある問題がふりかかります。
弁護人「家計や預貯金の管理は夫に任せきりだったのですか」
母親「はい。結婚後からずっとそうでした。夫の死後、大量の事務処理があり、それまで家計に関わっていなかったから、書類の場所などを全く把握していなくて、パニックになってしまって」
弁護人「将来の不安があったのですか」
母親「ありました。家計を把握していなかったので、貯金がないと思って、収入も一切なくなると思って、やっていけないと」
弁護人「誰かに相談しましたか」
母親「いいえ、相談しても結局自分でやらないと、と思っていました」
“心の支え”だった夫を亡くし、コロナにも感染し、心身ともにギリギリの状態のところに慣れない事務手続きがふりかかって、張り詰めていた糸が切れてしまった母親。そして-
弁護人「自殺するしかないと強く決意したのはいつですか」
母親「当日の朝、7時半くらいです」
弁護人「2人の子どもを道連れにしようと思ったのは、いつですか」
母親「死にたいと思ったとき、子どもを残したら、自分でも分からない大量の事務手続きで私以上に苦労すると思い、苦労をかけたくないと思って、道連れにしようと思いました」
弁護人「あなたにとってお子さんは、どういう存在ですか」
母親「・・・小さいときから大切に育ててきた、かけがえのない存在でした」
弁護人「お子さんが憎いという感情は」
母親「全くありません」
弁護人「自分が守っていこうという気持ちは」
母親「もう無理、と思ってしまいました」
直面した困難に絶望して自殺を考え、その困難を子ども達に背負わせたくないとして子どもを殺そうとした。母親はそう主張したのです。