(松井靖之さん)「親しみやすい性格で、一緒に昆虫採集に行ったりしていた」

松井一等兵曹の6つ下の弟、靖之さん(93)です。小学5年生のころ、海軍飛行予科練習生=予科練として訓練に旅立つ兄を見送りました。
(松井靖之さん)「白い七つボタンの制服を着て、帽子を被った姿の兄と別れの挨拶をした。見送りに行ったあと、教室に帰って号泣した」

9人きょうだいの長男として生まれた松井一等兵曹は、昭和17年(1942年)、旧制中学校を中退し予科練に志願。当時、日本は真珠湾攻撃を成功させ、国内では連日のように大戦果が報じられていた時期でした。
(松井靖之さん)「『真珠湾攻撃で華々しい戦死をした』とか言って、周囲がわーと沸いて拍手をする。軍隊に行って国のために戦死するのが良いという風潮がしみ込んでいた」
