プロ野球・巨人で選手や監督として活躍した長嶋茂雄さんが3日朝、肺炎のため亡くなりました。89歳でした。鹿児島のファンからも落胆と悲しみの声があがっています。

巨人・終身名誉監督の長嶋さんは、1958年に巨人に入団し、首位打者6回、ホームラン王2回など数々のタイトルを獲得。天皇皇后両陛下をお迎えした初の天覧試合でサヨナラホームランを放つなど、その勝負強さと華麗なプレーでプロ野球を国民的スポーツにしました。

現役引退後も巨人や日本代表の監督などを務める中、2002年と2003年には、当時、春季キャンプを行っていた千葉ロッテの視察に鹿児島を訪れました。

(久保克之さん)「まさかと思ってびっくりした」

鹿児島実業高校野球部監督として活躍した久保克之さんです。1974年、夏の甲子園で初のベスト4の原動力となった定岡正二投手を、長嶋監督率いる巨人に送り出しました。

(久保さん)「よく(ドラフトで)とってもらったなと感激していた」

鹿実が東海大相模と延長15回の激闘を繰り広げた際、途中でテレビ中継が終了したことに、当時、長嶋さんも憤慨していたそうです。

(久保さん)「東海大相模との一戦は長嶋さんも見ていたらしい。(Q長嶋さんも動かす試合だった)『僕も(テレビ局に)電話したよ、腹が立って』と。

Q久保さんにとって、長嶋さんは
(久保さん)「雲の上の野球界の神様。明るさや純粋さ、素直さはすごい」

長嶋さんの訃報に、街の人は・・・

(80代)「けさニュースを聞いてびっくり。安らかに眠ってほしい」

(80代)「別格な人だった。野球の神様になるのでは」

(70代)「ずっと観ていた。安らかに。それだけ」

鹿児島で「長嶋ファン」として有名なのが、鹿児島中央駅の近くに店を構える「カレーショップ90番」です。

(カレーショップ90番 岩切秀史さん)「雲の上の存在。亡くなるなんて頭の中にこれっぽっちもなかった」

1977年の開店から掲げる名前の由来は、長嶋さんが初めて巨人の監督を務めた時の背番号。店内には当時の長嶋さんの写真が大切に飾られています。

(岩切さん)「同級生の弟に撮ってもらった。後楽園球場で。長嶋さんがノックする時の写真。私の宝物。(Qこれからも90番を背負って頑張る?)もう少し頑張ってみたい」

「ミスター」の栄光は、ここ鹿児島でも輝き続けます。