戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。空襲で被害を受けた民間人に対し、国は補償をしてきませんでした。「国に責任を認めて欲しい」と訴え続ける女性の思いを取材しました。

国会の会期中は、ほぼ毎週、議員会館の前に立ち続ける女性がいます。河合節子さん、86歳です。

1945年3月10日の東京大空襲。東京の下町を焼き尽くし、一晩で10万人が亡くなりました。

当時5歳だった河合さんは茨城県に疎開中でしたが…

河合節子さん
「東京の方面の空が真っ赤になっているのは、私も見ました」

疎開先に迎えに来たのは、大やけどをして顔中を包帯で巻かれた父親だけ。2人の弟、そして母親の姿はありませんでした。あの真っ赤な空の下で空襲の犠牲になっていたのです。今も遺骨は見つかっていません。

河合節子さん
「想像だにしていない死者の数が出てしまって。大きな穴を掘って、そこへ皆放り込んじゃった。私たちの家族は生ごみだったのか。一人一人の人間として扱われていないし、未だにその状態が続いている」

父親も空襲で負ったやけどに苦しみながら戦後を生き抜きましたが、国からは何の救済措置もありませんでした。

国は、軍人・軍属とその遺族にのべ60兆円ほどの補償などをする一方、空襲で被害を受けた民間人は救済の対象外としてきたのです。

東京大空襲の被害者らが国に賠償と謝罪を求めた裁判では、2013年に最高裁で原告の敗訴が確定。

それでも河合さんは活動を続け、先月、超党派の国会議員連盟が空襲などによる障害や傷あとがある人に一時金50万円を支給する救済法案をまとめましたが、国会提出の見通しは立っていません。

河合節子さん
「戦争によって命を落としたという結果は同じなのに、私達には国は責任を全く感じていない。軍人に対しては責任を感じている。それって、おかしくないですか」

河合さん自身は、空襲でけがをしなかったため、この法案では救済されません。それでも声をあげるのは、法案に国による空襲の実態調査が盛り込まれているからです。

河合節子さん
「事実をきちっと明らかにしてほしいというのが、今、私が頑張っている一番大きな理由」

河合さんは、国が空襲の実態を調査し、責任を認めることこそが、次の戦争を起こさないことに繋がると信じています。