■当時の様々なアイデアから生まれた「牛タン定食」

当時はガスがない時代。タンを煮込むには時間がかかるということで、牛タンを「焼く」という調理方法を思いつき、「牛タン焼き」ができました。


旨味太助店主・佐野八勇さん:
「牛タンをサイコロ状に切って串に刺し、焼き鳥にしたそうです。でもなかなか脂っこくてうまくいかないので、苦肉の策として、塩をふって食べたらおいしかった。(当時は)忙しくて、牛タンは1人3枚までとか、小さい店だったのでお酒も1人3合までと限定して出していた」


ちなみに「牛タン定食」といえば、牛タンのほかに何を思い浮かべますか?
「旨味太助」の先代・佐野啓四郎さんが店を出したのは1948年で戦後まもない頃。

当時は白米が貴重だったため、白米の量を減らすために麦を混ぜた「麦飯」が出来ました。

テールスープは、牛タン焼きが出来た1年後に開発されました。「食材を無駄にしたくない」という思いから、それまであまり料理に使われることのなかった牛の「しっぽ」を使ったのです。


今では仙台名物の代表ともいえる「牛タン」ですが、どのようにして全国に広がったのでしょうか。