現役の間に荒井がコーチになった理由とは?
荒井自身も東京オリンピック™までは、世界と戦うために全力を尽くした。3分38秒を複数回切っているのは日本選手は3人だけで、4回の飯澤以外では2回の荒井と、やはり2回の河村一輝(27、トーエネック。日本記録保持者)しかいない。コーチだが荒井の選手としての力は日本トップレベルで、日本選手権も東海大在学時の15年に優勝した。
しかし「自分に素質や才能があると思ったことは一度たりともありません」と言い切る。「自分の素質を正しく理解して、正しく研かないと世界の舞台には立てない。そう言い聞かせてやって来ました」しかし東京五輪代表に届かず、「アスリートとしての限界はある程度見えている」と冷静に判断した。「1500mや長距離の知識を活用して、この年齢まで頑張ってきましたが、それを早く下の世代の選手たちに伝えたい」
それ以前から飯澤にはアドバイスをしてきたが、23年6月に正式にコーチになり、練習拠点を埼玉から2人の母校である東海大に移した。「飯澤は日本の1500mを変えられる選手です。あれだけの体があって、抜群のスパート力、スピードがある。高校時代は駅伝で活躍して、大学1年で5000mを13分53秒33で走るなど有酸素能力も持っています。大学1年で3分38秒94を出した時から、すごい選手になると感じていました」
荒井がコーチとなった23年は、飯澤はケガでほとんど試合に出られなかったが、24年は5~6月に3分35秒77、3分35秒62と日本記録に迫るタイムを連発。6月の日本選手権では飯澤、荒井でワンツーフィニッシュを果たした。そして2人で出場した今回のアジア選手権は、金メダルという形に取り組みが結実した。
2人一緒に代表として出場できるレースが、今後もあるとは限らない。飯澤が1人で世界と戦うときには、荒井は今回とは違う形でサポートをしているはずだ。そしてまた結果を出したときには、2人で取り組んできたことを自信にできた今回の金メダルが、よりいっそう輝きを増すだろう。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
*写真は左から荒井七海選手、飯澤千翔選手