陸上競技のアジア選手権は5月27~31日に韓国クミで行われた。大会2日目の28日に行われた男子1500mでは、飯澤千翔(24、住友電工)が3分42秒56で金メダルを獲得。日本勢としてこの種目44年ぶりの優勝を飾った。荒井七海(30、Honda)も5位に入賞したが、荒井は飯澤のコーチでもある(双方のチームが荒井の指導者としての活動を認めている)。選手とコーチが同じレースに日本代表として出場した極めて珍しいケースで、飯澤は「荒井さんが勝たせてくれた」とまで話している。2人はどんな二人三脚で、アジアの頂点に立ったのだろうか。

金メダルを決めた最後の直線

フィニッシュ地点に向かうホームストレートで、自身の優勝が難しいとわかった荒井は「とにかく行き切ってくれ」と、飯澤の背中を見ながら走っていた。44年ぶりの快挙は、飯澤の最後の直線での走りで決まった。体格を生かした大きな走りは、力みを感じさせない動きで、地元韓国のジェイウン・リー(22)に2m差を付けた。

飯澤と荒井はいつも、レース戦略を事前に話し合う。「荒井さんからレース中は3、4番手の位置で進めて、ラスト100~120mでスパートしよう、と言われていました。そのプランを遂行するために、どの位置にいればいいかを考えながら走っていましたね。予選で韓国の選手の動きが良かったので、その選手の位置も確認しながらレースを進めていました」

最初は荒井が前から2列目にいたが、400m過ぎにインドの選手が前に出てペースを上げたのに対応できず、前の3選手と少し差が生じてしまった。だが空いたスペースに飯澤が700mで入ったことで、荒井は「しっかり対応してくれている」と安心できた。飯澤はその後リーを左前に出し、5番目のポジションをポケットされる(右斜め前に選手がいて、外側に出にくい位置を走ること)ことなく走り、最後100mでスムーズにスパートができた。

「飯澤はラスト200mでスパートして、最後の直線で固まることもあるのですが、今回はそれがありませんでした」レースプランを遂行する力だけでなく、飯澤の持っている能力の高さを、荒井は改めて見た思いがした。「飯澤は2月と4月にふくらはぎの筋膜炎を起こし、この1か月半は別メニューでした。それでも大舞台で120%、150%の力を出すんです」

故障をしたことは、「僕のトレーニングの采配ミス。申し訳ないと思っている」と荒井は反省するが、飯澤は「僕だけのメニューを組んでくれて、その意図を細かく説明してくれる」と感謝の念を持っていた。